SITARAMA
2013.12.07 22:47|徒然日記|

今日はラーマとシーターの結婚した日です

一番古典的なラーマーヤナの中にシーター様とラーマ様が初めて出会ったときの話が載っています。
とても素敵なので紹介します

宇宙の主であるお二人なのにとても人間味のある描写です

〜〜〜シーター編〜〜〜
「シーター様はラーマ様の面影を視線の先でしっかりとらえ、胸の奥の小箱に大切にしまいこむ。静かに目をつぶり、ただひたすら心のなかで主を念じつづける。愛情のため没我の境に浸っているシーター様を気遣って、侍女たちもそっとしている。」
シーター様はラーマ様の面影をしっかりと胸のうちにしまいこむ。
もちろん、自分の運命が父の意のままに操られることはよく承知している。知ってはいても、ラーマ様に対する思幕が胸を圧迫し、もうどうにもならないほど高揚するのである。
〜〜〜ラーマ編〜〜〜
主ラーマ様は心のうちで、シーター様の美しさを賛嘆しながらも、立場を考えて理性をもって感情を抑えられる。少し経ってから、弟ラクシュマナ様に向かってこう述べられる。
「見よ。あのお方が王家の姫君シーター様だ。近く婿選びのための、弓の祭祀が行われる。池のほとりのパールヴァティ寺院に参詣されるついでに、侍女たちがいまこちらにお連れしたのだ。シーター様はまるで、花園じゅうに光の束を撒き散らしながら歩いておられるようではないか。生来男女の愛にはうといわたしではあるが、シーター様の神秘的な容姿を見ていると、とても平気ではいられなくなる。故事伝承の類、過去世の因縁話などは、創造主にしか真偽がわからない。しかし、弟よ!聞け。幸運を予告するかのように、いまわたしの右半身が激しく揺れる。
断じて悪道には足を踏み入れないのが、わがラグ族。わたしも身の処し方には、固い信念を持っている。目覚めているときはむろんのこと、夢のなかでさえ決して女性をやましい思いで見ることはない。またどのような女性からも、不純な気持ちで見られるような隙も与えない。戦場では敵を前にして背を向けることは絶対にしない。乞食に物をねだられたとき、かつて一度も〈否〉と言ったことはない。———ラクシュマナ、世間には、わたしのような志操堅固な人物は、そうざらにいるものではないのだ」
口では強がりを言っても、ラーマ様の心は早くもシーター様の美貌に魅惑されてしまっている。シーター様の容姿を蓮華に例えれば、ラーマ様のお心は大黒蜂である。大黒蜂は蓮華の花蕊に吸いついたまま動きをとめる。ただ蜜を吸うことに余念がない。
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とーーてもスイーーート


これも物語全体を読むと、壮大なドラマの中の最初のエピソードにすぎない。
このときは誰もこんな物語として何千年も受け継がれると知らないし、
お城を追放して森で生活することになるとも知らないし、
魔王にさらわれ、助けにいくなど想像もつかないことでしょう・・・
わたしたちの人生も物語になっているのなら、
この先、壮大なドラマが待ち受けているのかもしれない!
でも物語だと考えると、「今」起きていることに振り回されないのに、役を演じれるような気がしてくるのです。
自分の人生が物語になっても恥ずかしくないように
読者が楽しんでくれるように
笑いあり、涙ありの物語を今日も作っていきたいです


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