
今回の祭壇のお花は
•シェイラ〜ユリ〜
•デルフィニウム(青)
•ストック(白)

何の気なしに 金魚草の花言葉を調べてみました
すると・・
「清純な心」「図々しい」「図太い」「騒々しい」「推測ではやはりNOです」「でしゃばり」「予知」
こんな花言葉初めてみた

いい言葉ばかりではないんですね〜!
でもなんだか愛嬌のある可愛い感じですね

「推測ではやはりNOです」ってなんだろう


今回は、お花を選んで用意していただいたものを代わりに受け取りに行きました。
それを受け取り、活けていて、続けることの大切さを学びました

一つ決めたことをずっとやりつづけるってすごく修行になる。
どんなことでも、小さなことでも、一見意味のないようなことでも、続けることで、軸ができて、その他のものが浄化されていく感じがします。
流れ続ける川の中に一本の棒が刺さるみたいに。
流れない棒ができることで、「流れ」が分かる。

その棒によって川の流れも変わるだろうし、波もできる。時には引っかかるものもあるでしょう。
もしかしたら流されてしまった、人がつかまれる救いの棒になるかもしれないし、
あるときは、船の生涯物になる邪魔な棒になるかもしれない。
それでもそこに在りつづけることで、棒にはたくさんの葛藤、選択、誘惑、色んな感情がでてくる。
もうちょっと流れの緩いとこに行こうかな・・とか
邪魔になるだろうし辞めようかな・・とか
色んな正当な言い訳を作るかもしれない。
それでも貫き通すことで、弱さや、怠惰や、エゴを浄化していくことができるのだと思います。
そしてそれでも在りつづける棒の姿は、誰かの心を動かし、感動を与えてくれます。

昔TVで左手を上げつづけている聖者の番組を見たことがあります。
そのときは、解説も、信仰心でやり続けていることを、不思議なこととして取り上げた番組でした。
当時は、そんなことに一生を費やして何になるのだろう・・などと考えていた。
でも今となってはその意味がよく分かる気がします。
その場だけのつくろいや、できごとに大事な時間を使い捨てていくよりも、
一生かけて、魂を磨いていく道のほうが、真の充実がある。本当の喜びがある。
そしてその姿は、必ず誰かの心を動かすし、感動を与えてくれると思います。
これだれは続けるんだという一つの誓いをする。
それだけで、この人生というドラマがもっともっと濃く、深いものになっていくのだと思いました。
存在しているものには必ずドラマがあるんだな・・
そう考えると・・
今この文章を打っているパソコンのキーボードを作っているときの、ベルトコンベアーで流れ作業をしている人のその日の悩みも・・ 全てのものにドラマがあるんだね

物を大事にしよう! なんだか最後が違う方に行っちゃった

「貫こう
流れの中で
立ち続け
どんなものでも
かかってこいや





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